こちょこちょなお店 福岡旅行②

その日は晴れていたので、昼間電車に乗って福津市へ。博多駅から乗って福間駅で下車。福間駅で自転車を借りようとしたら、レンタサイクルはもうやめたとのこと。「レンタル?ないないない」と自転車置き場のおじさんが手を振る。コロナの影響なのかな。残念。そうするとタクシー移動になるけど、タクシーでさっと移動してしまうのは気分に合わない。仕方がない、海まで30分、歩いてみようじゃないか!!と突然燃え出した心のままに歩き出す。途中で小さな神社二つに立ち寄って、家と家の隙間を縫ってビーチに到着。昔の土地区割りのままなのか、隙間道はくねくねしている。集落が町になったのだね。と思う。海のそばだから、風が強い。東京でもくねくね隙間道の住宅街はたくさんあるけど、風が絶えず流れるここは漂う雰囲気が違う。人の香りが薄くなり、海と風と太陽が心に入り込んでくる。

 

海まで片道30分。くたくたで足も痛い。このスニーカーでは駄目だった。海が輝いて美しいから、カフェで休めば何とか回復できるかな。目をつけていたカフェには臨時休業の貼り紙。でも大丈夫、隣のお店が素敵だった。海の見えるテラス席でベリーシェイクを飲む。完璧だと思った。眺めもこの席もこの風も。強い風と眩しい光で様々な考え事が後ろへ飛んで行く。

 

前日の夜に行ったお店は「クッキン」というところ。優しい店主が、おいしいワインを飲ませてくれる。椿油で延ばした五島うどんを、トリュフの入った出汁につけて食べると特別な気分。組み合わせの妙だね!桃の季節に食べさせてくれる、桃のパスタもまたいつか食べたい。いつかっていつだろう。夢の向こうの食べ物だ。

 

次のお店に向かって歩いていたら友人から電話。健康のことで心配な話。電話を切ると、目の前で原付に乗った男性が通行人を怒鳴りつけた。怒鳴りつけるほどのことじゃないけど、怒鳴ってしまうんだね。そういえば、福岡はなかなか運転の荒い土地柄だった。

 

こちらも以前、ちょこちょこお邪魔していた、春吉にある「テイスティ」というバーに行く。本当にいつもいつもテイスティ!個性って素晴らしい。そして実はとてもきめ細やかでオープンで思慮深く寛容。根底には慈愛だと思う。勝手にね、そう思ってる。

 

普段はまったく外食しなくなった。今は田舎に住んでいるし、お家ご飯は最高だと思う。でもこうやって旅行先で夜ご飯を探して夜光虫のように漂っていると、夜の灯りは無駄についているんじゃないなあと思う。ついていないと困る灯りがあって、そのいくつかを街の人達と共有させてもらったんだね。こちょこちょ心をくすぐる店をいろんな人と共有したいものだ。

 

これで福岡旅行は終わり。

 

 

こちょこちょなお店 福岡旅行①

福岡の街は、本当にこちょこちょなお店がたくさんある。小規模の個性的なお店がたくさんあって、入りやすくて、フレンドリーで、心をくすぐってきて一人旅行でも楽しい。もちろん、一人歩きの寂しさはあるけど、この寂しさは珈琲の苦味みたいなもので、時空間の深みを味わいたいのなら、ついて回るものなんじゃないかと思っている。もちろん、二人でも三人でも深みは味わえる。味が違うんじゃないかなって。だから今日は一人味。

 

以前福岡に住んでいた時に通っていたお店、「ペトロールブルー」に今夜は行きたかったから、たくさんの看板達は見るだけ。そして開店時間を待ってペトブルへ。すごくいい感じのマスターは覚えていてくれて、私が彼の好きな映画を酷評したことも覚えていた 笑。暑くもなく寒くもない春の晴れた夕方、外の空気は薄紫色、小さな雑居ビルの窓の空へ向かって、伸びやかな音楽が解き放たれる。私のためにかけてくれた音楽、甘い薬草シロップとジンの飲み物、この店に通っていた頃に夢想したことはきっと何も達成されていない、なんて能力も魅力もない私だ。でも私はまだ生き延びていて、ただ日々をやりくりすることに幸せがあると言う感触を獲得しつつある。幸せだとは言わないけど、充分だと感じた。ペトブルは、他の店に置いてあったショップカード兼コースターで知って、誰に紹介されるわけでもなく来たお店。小さな小さなエレベーターに乗って、誰にでもオープンなお店に行く夜はいいよね。

 

時間は遡って、この日の昼間は8年程前に通っていた「大木戸」といううどん屋さんで昼食。福岡だけどこのお店は讃岐うどん。福岡のうどんも大好きだけど、今日は讃岐うどん。冷たい出汁の「冷やかけ」にトッピングは「ちくぼー」(竹輪と牛蒡を半分ずつ)。そうそうこれこれ。サラリーマンのお昼ご飯だからいつもそそくさと入ってそそくさと退散していた。でもうどん屋さんの店主が覚えていてくれて、10年ぶりくらいかな?と会計時に声をかけてくれた。すごい!マスクと帽子をかぶっていたのに、見分けてくれて感動した。この広い地球で見つけてもらった気分。心が震えた。この人はきっとみんなのことを覚えていて、こうやって言葉で表現してくれて。元気になっちゃった午後でした。

 

という具合でもう少し、福岡の夜は続きます。

 

 

長い長い休みの旅行 山陰旅行③

とうふちくわは、7割がとうふ、3割がちくわ。食べたらまさにその味だった。おいしい。大豆と魚肉の味。たった3割でも魚肉の旨味は感じられるものだなあと。とうふちくわは冷蔵商品なので店内で食べた。プレーンと葱入りと1人で2本は多すぎだった。醤油がないと最後は味に飽きて苦しい。でもおいしい食べ物。とうふちくわは節約のために生まれたもの。鳥取はこんなに海に面しているのに、どうして海の幸を我慢しないといけないんだろう。海の幸は他の藩に売ったのか。殿様のケチ、と一瞬非難。でも真相はわからない。今となっては植物性タンパク質と動物性タンパク質のコンビネーションが素晴らしい。その後、鳥取市内に戻り、心のこりだった鳥取たくみ民藝店へ。記念に白磁の小皿を買う。そして、三徳山三佛寺投入堂へ。投入堂のHPを見たら、今日は雨のために入山禁止。とても悲しい。どうせ一人では登れなかったけど。少しでも近づきたいから三徳山へ。

 

三徳山三佛寺までの道の軌跡に芸術性を感じた。ナビでルートを見るとよくわかる。ヘアピンカーブの連続、カーブ度合いにおどろく。ナビの画像を写真に撮りたい。ど下手くその運転をしながらナビに誘惑される。こういう道しか作れなかったのか、と山の形状にあきれる。空を見て両手を上に向けて、おいおいのジェスチャーをしたいくらい。人を拒む山。ではなくて、そう、全面的な拒絶ではなくて、山は存在しているだけだ。受け入れてくれている。カーブを曲がるたびに、いくつもベールを潜るような感じがする。小雨が降っている。ひどく静かでとても美しい。

長い長い休みの旅行 山陰旅行②

不動院岩屋堂、それは静かな集落の奥のほうにあった。ナビの言うところで車を停めて、外に出る。ぐるりと見渡して見つけた。凄い建物。それは異様な光景。ずっと昔に、これを求めてひたすら歩いてきて、ついにたどり着いた時の感動はどんなものだっただろう。祈りの気持ち、神に近づいているかのような。絶望を抱いた人も来たのだろうか。その時ここはどんな村だったのだろう。川の水は着いた晩の炊事に使ったかもしれない。それからいっときここに居を構えて、修行をしたのかもしれない。その人生を見たかったなあと思って、この舞台造りの岩屋堂を眺める。ずっとずっと見ていたかった。暗くなる前に鳥取市内へ。車の中で歌を歌う。

 

今日はビジネスホテルだから夜ご飯は外で。鳥取たくみの割烹に行きたかったけど、お腹が空きすぎて歩けず、近くのうどん屋さんへ。あまりコシはないけどおいしいうどん。鶏天に下味がしっかりついていてググッと迫る旨み。大根と人参の生酢には砂糖がたっぷり入っている。一人ご飯はいつものことなのにやっぱり緊張する。きっと永遠に緊張するんだろうな。昔、誰かと食べたときの幸せを思い出して、その思い出が眩しくて目をつむる。コンビニに寄ってホテルへ帰ろう。明日は、謎の「とうふちくわ」を食べなきゃ。

長い長い休みの旅行 山陰旅行①

山陰旅行は2日前の鳥取駅から始まった。JR鳥取駅の改札は自動改札じゃなかった。駅員の人が立っていた。何かレトロを売りにしたイベントなのかと思って、改札を通った後振り向いてイベントの垂れ幕等を探したけどなかった。自動じゃなくてもやっていけるということなのかな。駅員の人はいたってクールな感じで、それは何の問題もない。でも人が介すればそのサービスがあたたかいかというとそうじゃないんだと、変に昔を求めるのは勘違いなんだと考えて胸が冷んやりとした。昔にあたたかさがなかったらどこにあたたかさはあるのだろう。今にもない、昔にもない、未来にも期待できないじゃないかって。でもきっと大丈夫だ。どこを探してもないものは、経験上、今ここにある。近すぎて見えないってやつ。

 

 

レンタカーで鳥取砂丘へ向かった。鳥取砂丘の駐車場は前払いで500円。思わず通り過ぎて、いっとき進んで海辺に停まった。海辺に座ってバナナを食べる。海は綺麗だ。でもこれだと普通の海だ。海じゃなくて砂丘に行かなきゃ。500円を払おうと立ち上がる。

 

随分昔から鳥取砂丘のことを想像していたので、頭の中ではそれは広大な砂漠。それと比べると実際は砂場。でも公園の砂場を大きくした感じかと思って期待しないで目を開けると、それは砂漠。でもまあいい。どうせ一度は来たさと思い砂丘をズンズン歩く。汗が出る。風が吹く。でも不思議と砂は舞い上がらない。風が気持ち良い。悪くない。砂の谷を通って砂の山に登り、砂丘の先の海を眺めてまた来た道を返して駐車場に戻る。靴と靴下の中の砂をトントン捨てる。お土産は買わない。旅のはじまりだから次の場所へと気持ちがはやる。砂丘を経験したことに満足して次の場所へ。次は不動院岩屋堂。